まりふのひと

親父の三周忌を機に昭和の土地を訪ねる

※ 小学生の頃

 横浜線矢部駅近く。親が米軍基地内の(日本の)会社に勤めていた関係から、基地内にある2階建ての「寮」に住んでいた。寮があった場所は返還され県営住宅となっているので、当時の建物の面影は全くない。

当時の基地は今でも基地。
当時もこのような看板があった。


寮はA〜Eまであり、我が家はA寮の2階。ちょうど正面に開閉門(ゲート)があり、親がゲートを通ってここから基地内の会社に出勤するのを毎日見ていた。支柱から当時の状況がうかがえた。

※ 中学生の頃


 横浜線相模駅に近くないすすきの住宅。
今は立派な建物になっている。


その縁に当時を思わせる建物が1軒あった。
平屋の二軒長屋だった。
「ん〜ん、こんな感じだったぁ〜」
兄弟3人が思わずうなずいた。

大野北中学校

Webページには、JR横浜線淵野辺駅北口より徒歩7分とあった。今は複線だが当時は単線。出口は1っしかなかった。

面影は全くない。
あるとすれば、 校章程度‥‥

感想

建物がなければ、道に迷うことはなかったのに...